~「2018年度 福島を見て、知るツアー」に参加して~

 11月1日(木)~2日(金)日本生協連主催「福島を見て、知るツアー」が実施され、組合員理事3人と職員が参加しました。東日本大震災で、地震・津波・原発事故の複合災害に見舞われた福島県は、依然として43,000人余りの県民が、県内・県外に避難したままです。ならコープでは、震災翌年から、東電福島第一原発の事故による被災地の子どもたちや保護者をケアする「福島の子ども保養プロジェクト(通称:コヨット)」を支援しています。震災から7年7ヵ月経った福島の今を報告します。
 
◆世界一厳しい基準で検査する食品の放射物質検査を見学
 厚生労働省は2012年4月、食品中の放射性物質の基準値(放射性セシウム濃度)を食品群ごとに設定し、一般食品は100ベクレル/kgと設定(世界の基準値は、米国1,200ベクレル/kg、EU1,250ベクレル/kg、コーデックス委員会1,000ベクレル/kg)。福島県では、米・農産物・水産物の放射線物質検査を、震災以来継続して実施しています。世界一厳しい基準で食品の安全性を確認しています。

 

災害支援活動「被災地を忘れない 今、福島は」 ①米の全量全袋検査(福島市) 福島県では173ヵ所で2012年産米から毎年全ての玄米1千万点以上を検査。2015年産米以降、基準値を超えるものはない。
災害支援活動「被災地を忘れない 今、福島は」 ②JAふくしま未来のモニタリングセンター(福島市)  野菜と果物を31台の簡易測定器で検査。2017年度は15,000検体の99.9%が20ベクレル/kg未満であった。
災害支援活動「被災地を忘れない 今、福島は」 ③小名浜魚市場(いわき市)試験操業中。自主基準を50ベクレル/kgに設定して水揚げ日毎に検査。魚種は180種に増えたが漁獲量は震災前の約13%。

避難指示を解除された富岡町から帰還困難区域を北上
 2017年4月までに国と自治体は、福島第一原発がある双葉町・大熊町含む7市町村にある帰還困難区域を除く区域の大部分の避難指示を解除しました。2017年4月1日に解除された富岡町から福島第一原発が見える国道6号線を北上しながら視察。除染廃棄物の仮置き場が各所に見え、町ごとに建てられた廃棄物減容化施設に向かうダンプカーが頻繁に往来していました。

災害支援活動「被災地を忘れない 今、福島は」 ①津波で押しつぶされたパトカー。住民に避難を呼びかけていた警官2人が殉職。一人はまだ見つかっていない(富岡町双葉警察署そばの児童公園にて)。
災害支援活動「被災地を忘れない 今、福島は」 ②国道から事故を起こした福島第一原発の建屋と排気筒が見える。手前は除染廃棄物を詰め込んだフレコンバッグが積まれた仮置き場。
災害支援活動「被災地を忘れない 今、福島は」 ③帰還困難区域では、家の前に柵がされていて入れない。
災害支援活動「被災地を忘れない 今、福島は」 ④避難区域を解除された浪江町請戸地区。所有者の所在が不明な家は津波被害を受けたまま残されている。
災害支援活動「被災地を忘れない 今、福島は」 ⑤農業再開に向け、農地の表土を剥ぎ整地する作業が進んでいる(浪江町請戸地区)。

◆懸念されることは風評被害から風化
 ツアーに、福島県生協連専務理事 佐藤一夫氏とコヨット事務局 住吉 登氏が同行。参加者は「原発事故が福島県民にもたらしたもの」について詳しく解説いただきながら視察しました。

・住吉さんは「『除染がすんだ、空間線量が少なくなった』と単純に受け入れられない被災者の気持ちの問題がある。コヨットに参加する保護者は、『本当にあのときに県外へ避難しなかったのが良かったのか、この子の10年後に症状が出ないか』を心のどこかに思って過ごしています」と話されました。

・佐藤専務理事はツアーの終わりに次のように述べられました。
「県民世論調査で、原発事故について国内で風化していると感じている人は70%、県内の現状が国民に正しく理解されていないと思う人は73.2%となっています。震災当時の情報や憶測のままで止まっている人がたくさんいます。震災や原発事故の記憶の風化がすすみ、福島県の現状が正しく理解される機会がますます少なくなるということが懸念されます。避難した人としなかった人、帰る人と帰りたいけど帰れない人、帰らない人がいる福島。ただただ原発事故前の幸せだったくらしを戻してほしいが、福島県民の共通の願いだと思います」

災害支援活動「被災地を忘れない 今、福島は」 コヨット事務局 住吉 登氏
災害支援活動「被災地を忘れない 今、福島は」 富岡町の児童公園に設置されたモニタリングスポットの前で説明される佐藤専務理事。